BMW発ベンチャークライアントモデルとは
「ベンチャークライアントモデル(Venture Client Model)」とは、競争優位の確立および戦略的利益の実現を目指して「スタートアップの顧客になる」手法である。ベンチャークライアントモデルは、オープンイノベーションに不可欠となるスタートアップ協業のプロセスを標準化し、大手企業が驚異的なスピードと効率で革新を遂げることが可能となる仕組みと言えよう。
しかし、当然そこには弊害がある。大手企業のオープンイノベーション担当者がベンチャークライアントモデルを理解し、プロセスを踏むことを怠ることだ。そういう意味では大手企業のオープンイノベーション担当者の人材がこのモデルの運用に耐えうるだけの理解能力とプロセスマネジメント能力を持っているか試されることになる。
ベンチャークライアントモデルはどのように生み出されたのか
ベンチャークライアントモデルは、ドイツ27pilots(27パイロット)のGregor Gimmy(グレゴール・ギミー)がBMW在籍時に再現性のある形でイノベーション手法として定式化したのが起源とされている。
GregorはBMWに在籍中、世界初のベンチャークライアントユニットであるBMW Startup Garageの立ち上げに成功した。ベンチャークライアントモデルとして、トップクラスのスタートアップから戦略的な利益を得ることを可能にするイノベーションの手法論に体系化し、専業のコンサルティング会社27pilotsを創業。現在はIMDビジネススクールのエグゼクティブ・イン・レジデンス、INSEADビジネススクールのゲスト講師、基調講演者としても活躍している。
Gregorは2012年のBMWへの入社に際して「経営戦略として掲げる野心的な技術革新の目標を、いかに自社のR&Dだけではなくスタートアップの技術を活用しながら達成するか」という命題を受ける。試行錯誤の結果、GregorがBMWでベンチャークライアントモデルを考案することになる。原体験は「BMWの過去のスタートアップ協業を振り返った際、最もインパクトのある協業はイスラエルMobileye(モービルアイ)のADAS(先進運転支援システム)を量産車に投入したことである」と理解したことであった。Gregorは、BMWのエンジニアが「他のサプライヤーより圧倒的に優れているのでMobileye以外の採用は考えられない」と口をそろえて言及したことに衝撃を受けた。BMWによる運転支援システムの技術導入が「Mobileyeの顧客になる」ことによって達成されていた点に着目して、同様のスタートアップ協業を再現性をもって実施できないかとベンチャークライアントモデルが考案された。
ベンチャークライアントモデルの効果は何か
Gregorが構築したベンチャークライアントモデルでは、企業にとっての競争優位ひいては経済的な利益につながる戦略的課題を素早く特定することから始まる。その上で、課題の解決によって生まれる競争優位や利益を、スタートアップとの提携によって再現可能性がある形で企業にもたらすことを目指す。私の知る限り、大手企業の意思決定は驚くほど遅い。様々な要件をクリアしている間に数年、数十年の時間を費やす場合が多い。意思決定の期間を短縮するためには、スタートアップ共創からの戦略的利益を測定できる必要がある。言い換えれば、ベンチャークライアントモデルの効果は意思決定の時間短縮だ。
特に肝要となる実行プロセスは、以下の5つのフェーズからなる。
出典:27pilots
Discover
ディスカバーのフェーズでは、戦略的な課題とスタートアップのソリューションを特定する。戦略的課題について緊急性や実現性、ビジネスインパクトから優先度を決め、それに対応したスタートアップの評価を行う。ビジネスインパクトとは、収益貢献額と費用削減額の大きさであり、総利益もしくは付加価値の大きさと近しい意味合いで用いられている。このフェーズで重要な観点は、まさに課題とスタートアップの発見である。ソーシングというものはリストアップしたスタートアップを絞り込んでいくような意味合いがあるが、ここでは、より発見という意味合いが強い。ここでの注意点は、大手企業がスタートアップの時間を無駄に使ってしまわないことだ。大手企業とスタートアップでは流れている時間の速さ、その時間が持つ重要性が決定的に異なる。このことを肝に銘じておかなければ、大手企業はスタートアップエコシステムにおける評判も落としてしまうことになる。
Asses
このフェーズでは、さらにスタt-アップとの適正を評価していき、提携の可能性を探る。具体的には既存のソリューション提供企業よりも課題を解決するための優れたソリューションを所有しているのはどのスタートアップかを、評価項目に基づいて評価していくことになる。ここでは、課題から要求される特定の技術やスペック要件を満たしているか、既存のユースケースや会社の状況へ適合しそうかも含めて確認していく。
Purchase
MVP(Minimum Viable Product)を開発し、MVPとは実用最小限の製品のことで、核となる価値を与え、初期の顧客で検証するために必要な機能のみを備えたバージョンのこと。 MVPはユーザーの意見を集め、その製品がユーザーに必要とされているかどうかを判断するために使われる。MVPを共同開発することで、ビジネスインパクトの基礎的な評価とスタートアップの技術力を評価することが可能となる。
Pilot
MVPで十分な評価が出来れば、デューデリジェンス(Due Diligence)を行っていく。デューデリジェンスとは、投資を行うにあたって、投資対象となる企業や投資先の価値、リスク等を調査することで、これにより、戦略的ビジネスインパクトが明確化され、本格的なスケジューリングが可能となる。
Adopt
最後に、ライセンスまわりを整理し、必要な契約を整備する。事業部とスタートアップを接続し、事業提携を結ぶ場合もあれば、共同の組織を立ち上げ、そこに投資をする場合もある。いずれにしても、ここまで準備をしてきた大手企業とスタートアップの接合が行われ、晴れて本格的な共同作業を行うに至る。
ベンチャークライアントモデルの実績は何か
BMWはベンチャークライアントモデルを活用することで、いち早くADAS(先進運転支援システム)を自社の量産車ラインアップに搭載した。直近では製造ラインにヒューマノイドロボットを投入する商用契約をスタートアップと結ぶなど、スタートアップを活用したイノベーションを起こすことに成功している。同モデルを活用することによって、毎年約30のスタートアップと契約を行い、これまでに20社以上を正規のサプライヤーとして迎え、巨額の収益向上とコスト削減を達成している。
ベンチャークライアントモデルの事例はあるか
ベンチャークライアントモデルは、ドイツBMWが生み出し世界40ヶ国以上に広がり、現在では、ドイツBosch(ボッシュ)、 ドイツSiemens(シーメンス)、フランスL’Oréal(ロレアル)、フランスTotalEnergies(トタルエナジーズ)、スペインTelefónica(テレフォニカ)、スイスSwiss Re(スイス・リー)、欧州Airbus(エアバス)、フランスAXA(アクサ)などが採用し、10を超える業種で活用が始まっている。
成功事例として、挙げるとするならば、アップル、グーグル、BMW、ボッシュがある。ファイザーは2018年、当時スタートアップだったドイツのBioNTechとパートナーシップ契約を結んだ 。その後、BioNTechとファイザーは、BioNTechが持つmRNAワクチン技術に基づき、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に対するワクチンとして2020年12月に認可された「COMIRNATY」(コミナティ)を共同で開発した。ファイザーからBioNTechへのパートナーシップ料の支払いが18億ユーロを超えている5 ことからも、ファイザーがスタートアップ共創によって非常に多くの利益を得たことが分かるであろう。
結論
ベンチャークライアントモデルは、オープンイノベーションにおいて重要な示唆をいくつも与えてくれると同時に、プロセスの仕組み化、定着化に役立つ。BMVでの実績に導入事例もあり、一定の効果が期待できる。一方、オープンイノベーションについての理解が深い大手企業の担当者には、当たり前のことを言っているだけと感じられるかもしれない。それはオープンイノベーションの体系化が進んでいない現状と個々のオープンイノベーションの理解度のギャップが生じているからに他ならない。重要なのは、いかに優れたオープンイノベーションの方法論が登場しても、それを実行する能力があるかどうかだ。そして、そのような方法論が当たり前だと嘯く大手企業のオープンイノベーション担当者ほど、実行する能力が不足しているのも、また事実である。そうでなければ大手企業からのオープンイノベーションの成功事例がニュースメディアを賑わし、日本経済の競争力がここまで衰退することがなかったはずだ。もう一度、学習するつもりで、このベンチャークライアントモデルを踏襲し、オープンイノベーションに向き合う意義は十分にある。
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