序章:ビジョンという名の“蜃気楼”
これまでの記事で、私は、人の魂を揺さぶり、組織を動かす「物語(ビジョン)」の重要性を説いてきました。 しかし、私はここで、自らの主張を部分的に裏切らなければなりません。
物語だけを追いかける集団は、必ず滅びます。
ビジョンという言葉の響きは、甘美です。未来を語ることは、高揚感を伴います。しかし、その高揚感は、時に危険な**“蜃気楼”**となり、私たちが直視すべき、泥臭い現実から目を背けさせてしまうのです。
スタートアップのCxOだった頃、私はその蜃気楼の恐ろしさを身をもって体験しました。 「世界を変える」という美しい物語に酔いしれ、仲間たちと夜を徹して未来を語り明かす。しかし、その間にも、会社の銀行口座の残高は、容赦なく減り続けていました。
第一章:投資家が突きつけた、残酷な現実
その幻想を打ち砕いたのは、ある投資家から投げかけられた、たった一つの、しかし、あまりにも残酷な問いでした。
「その素晴らしいアイデアは、どうやって100億円の事業になるんだ?」
情熱だけでは、この問いには答えられません。 顧客は誰で、何に価値を感じ、いくら払うのか。競合との差別化要因は何か。そして、この事業が生み出す利益で、何人の社員の生活を、何か月間支えることができるのか。
美しい物語を語ることはできても、その物語を、持続可能な「事業」という名の乗り物へと翻訳するための、冷徹な**「科学(論-理)」**が、私たちには決定的に欠けていたのです。
第二章:ビジョンと利益の、本当の関係
多くのリーダーは、ビジョンと利益を、相反するものとして捉えがちです。「ビジョンを追求すれば、利益が犠牲になる」「利益を追求すれば、ビジョンが歪む」と。
しかし、これもまた、大きな間違いです。 私がこの20年以上のキャリアを通じて学んだ、最も重要な教訓の一つ。それは、**「利益とは、事業の“目的”ではない。しかし、ビジョンという長く困難な旅を続けるための、唯一の“燃料”である」**ということです。
ビジョン(物語)と利益(科学)は、対立するものではありません。
ビジョンは、利益という名の**「土壌」がなければ、決して育つことのない「種」です。 そして、利益は、ビジョンという「太陽」がなければ、いずれその成長のエネルギーを失い、枯れてしまう「根」**なのです。
利益なきビジョンは、ただの空想です。 そして、ビジョンなき利益は、いずれ必ず衰退する、魂のない数字のゲームに過ぎません。
結論:「どちらが大事か」という問いの、不毛さ
「ビジョンと利益、どちらが大事か」などと問う経営者は、すでにビジネスの最前線から脱落しています。
私たちが問うべきは、ただ一つ。 「私たちのビジョン(物語)を、いかにして持続可能な利益(科学)へと、変換するか」 その、泥臭く、しかし、どこまでも創造的な問いだけです。
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