序章:二つの“絶滅”の淵に立って
前回の記事までで、私たちは、現代ビジネスが直面する二つの絶滅への道を見てきました。 一つは、完璧な「論理」を持ちながら、魂のない計画書と共に沈没する**「ネアンデルタール」の道。 もう一つは、魅力的な「物語」を掲げながら、ビジネスという現実の重力に負けて墜落する「武器なきサピエンス」**の道。
どちらか一方だけでは、生き残れない。 では、この二つを「融合」させるとは、具体的に、何をどうすることなのでしょうか。
多くのリーダーは、その答えを「より優れたビジョンを、より緻密な計画に落とし込むこと」だと考えます。 しかし、それもまた、危険な勘違いです。 なぜなら、そのアプローチの主語は、常に「私(リーダー)」だからです。
第一章:なぜ、あなたの“正しい”言葉は、誰にも響かないのか
「なぜ、これほど正しいことを言っているのに、誰もついてこないんだ…」 多くのリーダーが、この孤独な悩みを抱えています。ロジカルに考え、正しい戦略を示しているはずなのに、チームの反応は鈍く、会議は静まり返る。
それは、あなたが間違っているからではありません。 あなたが、リーダーの仕事を「正解を提示すること」だと、勘違いしているからです。
人は、論理的な正しさ(正論)だけでは動きません。 人は、自分がその物語の**「登場人物」**であると感じ、自らの意志で貢献できる「余白」が残されていると信じた時に初めて、当事者として動き出すのです。
完璧すぎるビジョン、非の打ちどころのない戦略。 それは、部下の目には「自分がいなくても完成されている、完璧な絵画」のように映ります。そこには、自分が筆を加え、物語に参加する余地が、一片も残されていません。 結果として、彼らは熱狂的な当事者ではなく、安全な場所からその絵を眺めるだけの、「観客」になってしまうのです。
第二章:脚本家としてのリーダーシップ
では、リーダーが本当にすべきことは何なのか。 それは、完成された絵画を見せることではありません。 チーム全員が「これは自分たちの物語だ」と信じられる、少し不完全で、だからこそ誰もが参加したくなるような**「脚本の第一稿」**を提示し、こう問いかけることです。
「この物語の結末を、一緒に創ってくれないか?」
私がかつて関わった、ある大手企業の変革プロジェクトでのことです。 当初、経営陣が提示した完璧なビジョンは、現場から強い抵抗にあっていました。 そこで私たちは、そのビジョンを一度脇に置き、各部署のリーダーたちに、たった一つの問いを投げかけました。 「もし、あなたがこの会社の“社長”だったら、3年後、どんな景色を創りたいですか?」と。
最初は戸惑っていた彼らの口から、やがて、これまで誰も語らなかった、現場のリアルな課題と、未来への熱い想いが溢れ出しました。 私たちは、その無数の声(=情熱の断片)を丁寧に紡ぎ合わせ、一つの新しい「脚本の第一稿」を創り上げたのです。 その脚本は、経営陣が作ったものより、ずっと不格好でした。しかし、それは、現場のリーダーたちの「魂」が宿った、生きた物語でした。
その日を境に、彼らはもはや「観客」ではありませんでした。自らが共同脚本家となった、その物語の、熱狂的な「主人公」へと変わったのです。
結論:リーダーとは、「賢者」ではなく「問いかける者」
「物語」と「論理」の融合。 その第一歩は、リーダーが完璧な答え(論理)を提示することではありません。
まず、チームが心の底から信じられる「物語」の種火となる、**魅力的な「問い」**を投げかけること。 そして、その問いへの答えを、チーム自身が「論 理」を組み立てながら見つけ出していくプロセスを、信じて待つこと。
リーダーの真の仕事とは、答えを知り尽くした「賢者」であることではないのです。 チームの可能性を信じ、共に不確実な旅に出る覚悟を持つ**「問いかける者」**であること。 それこそが、組織という生命体に、魂の火を灯す、唯一の方法なのです。
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